世の中には神様からいくつも与えられた人がいる。
でも私はそうではない。
そう自覚したのは小学2年生の頃。遅くはなかったと今でも思う。
同じクラスの子たちは与えられた側の人だった。
誕生日に親からプレゼントをもらったとか、
夏休みにディズニーランドに連れて行ってもらったなんて聞いた日には、
羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。
私はどうか?学校の成績は良い方だったけれど、見た目がよくない。
男子から「ブス」「キモい」、女子からは陰口を叩かれていた。
すれ違えば聞きたくもない言葉を吐き捨てられた。
与えられた側ではないと、気がつかないわけがなかった。
そして親からもらえなかった。
妹ができて、私は3歳で親から名前で呼ばれなくなった。
長女の私は、呼ばれるときは「おねえちゃん」だった。
私は母親のおねえちゃんではないのにといつも思っていた。
私は一人の人間でも家族の一員でもなくて、 家事をして弟や妹の面倒を見る、
「おねえちゃん」という役割だった。
母親は「妹と弟がいるから、考えて」と言って、役割の私にはお金をかけたがらなかった。
出かけた先で妹や弟にはジュースを買い与えるのに、私には嫌な顔をした。
衣類も私には近所のお姉さんのお下がり。妹や弟には新品の服を買い与えていた。
それらの行動は、私がお金をかける価値のない人間だと示していた。
そして私は自分にお金をかけることを、いつの間にか悪いことだと思うようになり、
コンビニでペットボトルを自分のお金で買うだけなのに、ひどい罪悪感に襲われていた。
大学に入ってからは学費を賄うため、アルバイトばかりしていた。
折しもリーマンショックのタイミングで、
「このまま卒業しても就職できないのではないか」と頭をよぎった。
それからは高卒でも雇ってもらえそうな仕事を探し、
大学にほとんど行かなくなりながら、就職先が決まったと同時に中退し、夜逃げ同然に家を出た。
その次の年の採用でかなり人数を減らしていて、
我ながらいいタイミングで滑り込めたと今でも思っている。
働くのは楽しかった。
比較的年齢層が高く仕事も少ない部署だったため、
新入りの私はかわいがってもらえた。
やっと一人の人間として扱われていると思った。
出入りしているヤクルトさんから先輩がジョアを買ってくれたりもした。
私がそんなことまで気にしてくれなくてもいいのに、
自分の分は自分で出しますと言うと、
先輩は悲しそうな顔をして、
自分はお金に余裕があるから、自分が出すのはかまわないのだ、
あなたが仕事を頑張っているのがわかるから、
あなたは笑顔で受け取ってくれればよいのだと言ってくれた。
大切にされるとはこういうことなのか、
暖かい南国の海に浮かんでいるような優しい感覚で、
そういう世界があるのだと私には衝撃だった。
そしてそう扱ってもらえて、とても嬉しかった。
ぷかぷかと浮いているようだった。
言われた通りに私は涙目の笑顔でお礼を言い、ありがたくジョアをいただいた。
いまでもジョアの白ぶどう味は、私をあたたかい気持ちにしてくれる。
初めての給料日に、何を買うの?と聞かれた。
家賃と光熱費と…
それから?
私は答えられなかった。
お給料を何に使えばいいのかわからなかった。
生きていくのに最低限の家賃と光熱費、食費、せいぜいインターネット代。
それ以外に何に使えばいいのかわからなかった。
自分が何が欲しいかもわからなくなっていた。
欲がないというよりは、ただただひたすらに怖かった。
コンビニでペットボトルを買った時の、母親の怒った顔がちらついた。
自分のために口座の残高が消えていくのが申し訳なく感じて、
それが自分のお金なのにそう思ってしまうのが悲しくて仕方がなかった。
そうこうしているうちに3年が経っていった。
この3年間は全くもって楽しくなかった。
好みでも似合いもしないリサイクルショップの安い服を着て、
髪も手入れは行き届かず、化粧っ気もなかった。飲み会も行かなかった。
ものを買ったり、飲んだり食べたりして、残高が減るのがとにかく怖かった。
ただ職場と自宅を往復するだけ。なんで生きているのかわからなかった。
自分で自分に嫌気がさしていて、もう私をやめたいと思っていた。
そんなときに、去年の先輩のあの一言がふと頭をよぎった。
「歯列矯正しないの?した方が絶対いいと思うんだ」
歯列矯正ってものすごくお金がかかると思っていた。
ネットで検索して出てきたのは、総額で100万円ほど。
社会人2年目一人暮らしで経済的にも精神的にも余裕がなくて、聞き流してしまっていたあの言葉。
それでも迷った。
歯列矯正をする。それはすなわち100万円近い金額を自分のために使うこと。
本当にそれでいいの?
自分はそこまでする価値のある人間なの?
今まで自分のために使うことができなかった私が自分で働いて貯めたお金は、いつの間にかまとまった額になってた。
これからもそうでいいの?
このまま楽しくない日々を過ごして、すれ違う人の視線に怯えながら一生過ごすの?
私はそれでいいの?
嫌な思いをしてまで残す、この貯金はその後どうなるの?
私の中でぱんぱんに膨らんでいた何かが、その時はじけた。
私は泣いてしまって、涙も鼻水もしゃっくりも止まらなくなった。
その勢いのまま、矯正歯科に予約を入れ、抜歯のために仕事の調整をした。
一度越えたハードルを、もう一度越えるのは面白いほど簡単だった。
美容院に行き髪を染め、こうなりたいと思っていた髪型にしてもらった。
髪型を変えると今度は服装が気になり出し、
お店に行って試着をして気になったのを数着買った。
服1着に3,000円も使うのなんて初めてだった。
こうなるともう止まらない。
今度は中身が空っぽなのが気になり出して、本を読むようになった。
今まで新刊なんて買ったことがなかった。
話題の本はどれも面白いうえに、私の知らない世界を教えてくれた。
人と会話する時のネタにも困らなくなったのは思わぬ収穫だった。
人と会ようになると、自分の身なりが気になり、化粧に興味を持った。
必要な道具とコスメを買い、練習もした。
いろんなところに行ってみたいと、たくさん旅行もした。
どれもかけた金額以上に満足感のある経験ばかりだった。
一人旅で見た花と青空は、私の心を軽くしてくれた。
できなかった事ができるようになりたいと思うようになった。
必要に迫られてだけど、運転免許を取りたいと思い準備をしていく中で、
メガネでは度が足りないことがわかった。
どうせメガネは作り直すことになる。
それならばいっそとコンタクトレンズにしてみた。
コンタクトレンズを入れて、鏡の中の自分を見てとても驚いた。
私が想像していたのとは全くの別人がそこにいた。
最低限の経費で、自己犠牲をするのが美徳。
高いものは悪、自分の欲しいものを買うのは悪。
幸せになるのは悪。
そういった親の価値観から抜け出せなかった私と、鏡の中の私はもう別人だった。
そして私は、何の躊躇もなく自分のために自動車学校の教習代を支払えるようになっていた。
今振り返ってみると、若くて楽しい貴重な20代の数年間を棒に振ってしまったようで、もったいなかったなと思う。
特に就職してからの3年は結構に長い。20代前半の人生で一番いいときなのに。
その間おしゃれもせず、遊びにも行かず、本も読まず、お金を使うことに怯えて楽しみもなく、仕事と家の往復だけ。
なんて小さな世界で生きていたんだろう。
もっと同期の飲み会に出ればよかった、楽しそうなお誘いも断らなければよかった。
もっと友達を作ればよかった。
もっとおしゃれをすればよかった。
英語や歴史、学校で選択しなかったものを学べばよかった。
映画や絵画やお芝居やいろいろなものに、もっとふれておけばよかった。
旅行にも行けばよかった、海外だって行ってみればよかった。
沢山のやっておけばよかったを20代後半は必死に拾い集めていた。
そしてペースを落としつつも、今でも集め続けている。
私は与えられなかったけれど、自分から取りにいける。
そんな自信がついたのは最近のこと。
お金は使えば減るけれど、それ以上の知識や経験、満足感が得られるなら効率はいいと思えるようにまでなった。
いま気づけて良かった。まだ遅くはない。
昔思い描いていた、理想の人には今でもなれていないと思う。
失敗だってしたし、今でもできないこともある。
でも自分でした選択には納得している。
悔やんではいないと胸をはれる。
日々の小さな選択と、時折訪れる大きな決断の積み重ねで、今の私ができている。
私はこれからも、きっと大丈夫。
今まで私がしてきた決断と結果たちが、背中を押してくれる。
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2019.8追記
こちらのエントリーがりっすんブログコンテストで優秀賞をいただきました。
ありがとうございます。
歯列矯正以降で外見を変えるためにやったことも記事にしました。
こちらもお読みいただけると嬉しいです。