ふと今週のお題に目が止まった。「二十歳」。何をしていたかなあ。
多くの同級生が、大学に通い成人式に出て楽しい青春を送っているような時期に、私は夜逃げのような形で実家を出た。実行したのは昼間だけど。
楽しい話ではなく、むしろ暗くて重い話。
まだまだ二十歳で詰めが甘かったと思う点もあるけど、それもまた若さゆえなのかなと思う。
それでもあの時の自分はよくやったし、今振り返ってもあれは間違いなく人生の転機だったし、あのとき実家を出て本当に良かったと今でも思っている。
今週のお題「二十歳」
実家を出たい
前提として、特に母親と私は仲が悪い。両親は体育会系運動至上主義*1で、スポーツができ、部活を頑張っている子が正義、体育会系部活こそが社会の縮図で、そこで頑張れないのは社会を甘くみている。勉強ができる子は頭でっかちで鼻持ちならないという考えの持ち主。
なので家庭内での力関係は
妹(子供の頃から運動できる。バスケ部)>>>>>母親(パート主婦。宗教かけもち。子供を都会に行かせたくない。男尊女卑脳だが、実権は母親のが上)>>父親(お金を稼いでくるのでこの位置)>弟(長男教で育っている)>私(長女。運動苦手の勉強派。運動部に入らされるも続かず)
こうなった。
経済的には裕福でないので、子供にかけられるお金は決まっている。かけるお金の優先順位は
母親の宗教>妹>弟>>私
であった。
父親はどの位置かは知らないが、必要な額を母親に言えばすぐ渡されていたので不自由したということはないだろう。
母親は宗教をかけもちし、毎日の労力とそれなりの金額を突っ込んでいた。片方は毎日7キロ運転して集会に通い、昼間は布教。*2
もう片方は月2回だけどお供え物のお菓子を大量とお布施に1万~1万5千/回。あと細々と写経代とか護摩木代とか。
口癖は「お金がない」だけど、「お金がないなら布教に行く時間、パートに出れば」と言うと怒る。なんだかんだ言いって働かなかったが、私が中学生になったときにとうとうパートに出はじめる。
さて、次に優先されるのは妹だ。今で言うところの陽キャで勉強が苦手だが友達が多い。*3体が大きく、ユニクロのLでも入らなかったため に服代がかさんでいた。母親もこれぐらいならと1着5,000円の服をばんばん買い与えていた。傍目に見ても、いやこんなにたくさん着ないでしょと思う量があった。
友達と街に遊びに行くというと追加でお小遣いがもらえてた。
あと妹はくせ毛が強かったため、2か月に1回縮毛強制のパーマをかけに美容院に通っていた。中学2年生にして1回の美容院代2万である。美容院まで車で送り迎え付き。今の私でもそんな金額かけたことない。
次に弟。男の子だからと服をたくさん買ってもらうわけではないが、よく食べる。年頃だからね。歳が離れてるのもあって仲は悪くない。あの家の中でも一番寄り添ってくれたと思う。
それでも長男教で育ってるので、優先順位は高い。
妹と弟にはジュースとかお菓子とかがあるのに、私にはなかったりとか。親は、お姉ちゃんだから我慢しなさいと言ってたのが、そのうちに部活頑張るのが偉いにすげ変わった。
最後に私。
長女だから、お姉ちゃんだからと労働力扱いだった。小2から家事とか子守やらされてた。*4その分母親は布教に出たり。
運動苦手な勉強派だったので、家庭内カースト最下位。服は近所のお姉さんのお下がりで買ってもらえるのは下着靴下のみ。ブラ買ってもらえず、3着を延々回してた。物が必要とか買って欲しいと言うと母親に大抵却下され、「うちにはお金がないのに」としつこく言われる。何を言っても無駄なのは小5の頃には理解していて、買うにしても高いと買ってもらえる確率が下がるので、いかに安く買うかを考えていた。
とにかく節約節約お金お金お金とばっかり考えていて小学生にして既に金の亡者。
髪の毛4ヶ月切ってなくて、妹が美容院で縮毛強制かけた後に、「私も髪の毛切りに行きたい」と言ったら母親に「うちにはお金がない」と言われた。
それはつまるところ、「お前にかける金はない、金をかける価値もない」と同義語だった。もともと家庭内カーストが低かったのもあって、自分でも自分に価値はないと思うようになっていた。
家族で焼肉に行っても私の焼いてるお肉は妹弟に取られてもその分の補填はないので彼らの食べないサラダばっかり食べてた。
中学生の頃には、私は家族のメンバーには入っていないのを肌身で感じていたし、もう4人で家族をやっていればいいと思っていた。
身近に理解してくれる人は全くいなかったけど。
余談ですが、このあたりの思考が染み付いていたため自分にお金を使えなかったのがこの話につながりますし、
過去の記事はいかにうまく買うかの試行錯誤の結果をまとめたものが多いです。
母親の「都会に出ると派手になるから」との意向で、志望校の受験もできずに、まっっっっっったく楽しくない高校生活を送り、容姿のせいかなんなのか影で指さされて笑われてたこの頃の記憶はほぼない。女に学歴はいらない、親の勉強させない主義のもと大学受験は惨敗というかそもそも受験料をしぶり滑り止めもなし。雪のセンター試験の日に駅まで4km自転車で行きそこから電車。
一浪させてもらい予備校に通う。予備校代も金額ばかり気にしていた。3ヶ月ほどバイトでお金をつくり、お年玉を貯めた中から出す。(ただ、金額が異様に少ないし、履歴にはまとまった金額が出勤された形跡あり)
そんな感じで予備校に入学し勉強するが、すぐにリーマンショックのニュースが流れる。
あれ、このまま卒業しても就職先が無くない!????
お金に人生翻弄されるのは小学生の頃にはもうわかり切っていて、大学に入る=将来いい仕事に就いてお金を稼ぐだと思っていた。
将来いい仕事に就く=独立をさしていた私にとって、就職先がない=大学に入る意味がないと捉え、とりあえず大学受験し入学、大学生しつつ就職先を探し始める。
幸いにも就職先が見つかり、1月に3月いっぱいでの退学届を出した。ちょうど二十歳になったばかりだった。
就職先が見つかり、実家からでは通勤ができないので実家を出る旨伝えると、
じゃあ(最寄)駅の近くにアパート借りて〜、
そうすれば昼間に掃除しに行けるし、
ご飯作ってあげられるし♪
あ、毎月5万円はこっちに入れて。
母親の口からその言葉が出たとたんに、目の前が真っ暗、頭真っ白。
合鍵を使って家の中に入るつもり!?
あれだけお金を理由にして縛り付けて、まだ干渉するつもりなのか!?
しかも毎月金を入れろ?
実家の立地よりも何よりも、あの人たちから離れたいのに、まだ縛られるのか?
絶対に嫌だ
もう離れよう。連絡も断とう。
こうして夜逃げの準備は始まった。
事前準備・手配
就職先の確保
実家を出る最大要因、就職。
実家を出るにあたって、就職先が決まって、お金を稼ぐ算段がとれていたのが、踏み切れた要因の中で一番大きかった。実家を出る自然な理由にもなるし。
お金がないとすぐに詰むのもわかっていたので、最初の給料日までは貯金で食いつなぎつつ、働き始めればなんとかなるとわかっていたので精神的な負担は軽かった。
親に会社名は詳しくは伝えていない。咄嗟に〇〇系とだけ言ってしまった。東海地方には〇〇系多過ぎ。その〇〇系すらも嘘。全く違う業界です。
貯金
何は無くとも、必要なのはお金。お金がないと最悪実家に戻ることになりかねない。それは嫌だ。
実家という後ろ盾がない状態で生きようとするならば、頼れるのはお金と人脈じゃないかと思う。まだ二十歳の自分は友達もほぼいなかったし、人脈なんて皆無。これから後ろ盾を捨てる身となると、頼れるのはお金一択。
大学生しながらしていたアルバイト代はほぼ貯金に回した。月5万のお給料に対して月5,000円とかで生きてた。アルバイト先が食料販売だったので廃棄をもらい、自宅での食事はほぼそれだった。食べ物に関しては贅沢してたな(お金払ってないけど)。学校がお休みの時はもっとお給料あったので、授業料払っても7ヶ月で55万ほどの貯金ができた。実家を出る目的の貯金ではなかったけれど、この金があったので実家を出るための初期費用諸々が払えた。
これがなかったら身動きがとれなくて、お前はもう詰んでいる状態。
あの頃のがむしゃらに貯めていた自分には、今でもすごいと思う。
住む場所の確保
事前にルームシェアを探し、住居を確保。事前面接みたいなのもあったけど無事に入居決定、鍵もあらかじめもらっておいた。月2万5千円で6畳が個人部屋+共用部屋。部屋の広さで金額が変わるところだった。車も出してもらって家具を買いに連れてってもらったり。駅が徒歩圏内でスーパーも近くてすごくいい物件で2年ほど暮らした。あの物件は今でも好き。
住民票の異動
引っ越しの前に市役所に行き、住民票異動のために実家分と分離して、転出届を出す。
自分だけの名前と世帯主の文字が載った転出証明書を手にしたとき、晴れ晴れでもとても感慨深かった。
戸籍の分籍も考えたが、すぐにはできないのと手続きがややこしかったのでやめた。戸籍謄本なんてそんな見るものでもない。新居の住所さえわからなければいい。
実家の方の住民票には転出後の私の住所が載らないこと、戸籍謄本にも住所が載らないことを確認。引っ越し就職シーズンだし、窓口の人に訝しがられたが、なんとか終了。
携帯電話の契約変更
高校を卒業した時点で携帯電話の契約を自分の名義にしていたんだけど、家族割?なんかのパッケージから私を抜いてもらう。
連絡手段はないと困るので解約できないので、携帯電話会社を通じて新居の住所などが伝わらないようにした。
ちょっと高くなるが独立した契約にしてもらった。
引っ越しの手配
持っていくものもそんなになかったので、赤帽で。当座の洋服と、布団ぐらい。寒さに弱く、暖かくないとよく眠れないので布団は必須だった。いつ買いに行けるかわからなかったし。あとノートパソコン。
ネットで探した赤帽さんにお願いして、新居まで1時間ほどを連れてってもらう。1万円でお釣りがでたと思う。お釣りはそのまま晩ごはん代になった。
新居にあるものは炊飯器とか洗濯機とか炊飯器とか使わせてもらえたので、荷物が少なくて済んだ。もともと買ってもらえなかったし、バイト代も貯金してたのでそもそも物を持ってないけど。
荷造り
荷物少なすぎ。一番大事なのは通帳印鑑ノートパソコン。
他は最悪買い換えればいい。
当座の服などの荷物は段ボールに入れて。前日に玄関付近に置いておいた。
親へ言う
完全に実家から出て連絡を断つ。
突撃されても自分が痛くないように。それが精一杯だった。
就職で実家を出る旨を伝える
実家を出ること自体は納得。最寄駅近くにアパートを借り、合鍵を母親に渡すように言われたが拒否。
就職先の寮に入ると言い張る
寮自体はあるんだけども、遠方の人優先で入寮できなかった。でも親に新居の住所を教えたくなかったので「会社の寮に入る、入寮者意外は立入禁止」と言い訳。
住所は調べようと思えばインターネットでも調べられるけど、寮は複数あるのでどれかまでは判別できない。
会社に突撃されるかも考えたけど、世間的をものすごく気にする人なのと、社員数もそこそこ多く、入社前の社員なんて誰?だろうから突撃されてもその時はその時で何とかなるだろうと思った。
引っ越し日、時間を調整
母親がパートから帰ってくる6時以降に引っ越し業者を呼ぶよう指定された。そんなもの守らず。
親には6時以降に予定したと伝えるが、どこの業者に頼んだのか、連絡先等は一切知らせず。
実際には午後1時を指定。父親は仕事、母はパート、妹弟は部活で誰もいない時間にした。
引っ越し当日
予定通り実家には誰もいない1時に赤帽さんがくる。
粛々、淡々と荷物の積み込み。10分で済む。早い。
最後に置き手紙をして、そのまま誰もいない家の玄関に鍵をかけ、赤帽さんの車の助手席に座り新居へ向かう。1時半には出発してた。
とにかく淡々としてた。心の中はすごく晴れ晴れとしてた。
この日のできごとを母親の視点から見れば、
仕事から帰ってきたら、「探さないでください、置いていったものは全部捨ててください」の書き置きだけがあって、もういなかった。
だったと思う。
母親から怒涛の電話、メールが届く
5時をすぎたあたりから、電話が鳴り止まない。母親の携帯番号。留守電に入る10件は全部母親の怒鳴り声だった。電話がなったかと思うと、見るのも嫌になるような、文字がびっしりとした長文メールがわんさか届く。
おい、(名前)!夜逃げ同然で出て行きやがって!
ご近所に顔向けできない、恥かかせやがって!恥ずかしくないのか!
お前は非常識!育ててやったのに礼もないのか非常識だ!礼儀知らず!……
たまに心配したような内容になるが、次には罵詈雑言になるので目が覚める。
その他、思い出したくもない汚い罵倒や侮蔑語のオンパレード。
これを聞いた時は顔が青ざめたし、やるせがなく涙が出てきた。
心配してるかな…とか思ってたけど全くそんなことなかった。自分の思い通りにならなかったから感情をぶつけてるんだと、すっーっと冷めた。
しばらくしたら電源を切って、3日ぐらい放置。
入居
赤帽さんに荷物を搬入してもらい、無事に入居。まだ明るくて近くを散歩しがてら、晩ごはん。携帯電話の振動が心に影を落とすけど、それでも晴れやかな気分のが勝ってた。駅からも近くて、食事するところもたくさんあって、でも落ち着いた住宅街で。実家よりも都会で好きになった。これから就職して自立して、生活するんだだとワクワクしたのは覚えてる。
その後
携帯電話の電源を入れて、実家関係を着信拒否
着信履歴が見たことないようなことになってたし、留守番電話は怒鳴り声で埋まってるし、メールは文字びっしりが何通も来てた。
ほぼ母親の番号から。
父からは「お前のせいでお母さんが寝込んでいるから、連絡しろ」のみ。
妹、弟からは何もなし。
全部無視。
一か月後に家族関係の番号を着信拒否。
その間、知らない番号は電話に出ず、番号をぐぐってから折り返ししてた。
すぐに着信拒否しなかったのは、逆上して会社凸されたり、警察に行かれてなんか届け出されるのが嫌だったから。
警察に行っても、表面上「成人した子供が就職のために引っ越した 」にしかとれないので取り合わないとは思うけども。
電話もメールも来なくなった頃まで待ってから着信拒否。
住民票の異動
引っ越したので転入届を出す。
晴れて住民票上も新居に入り、独立!いやっほおおおおお!
住民票とか戸籍とかに閲覧制限をかけたかったけれど、当時の法律ではできなかった。
でも住所がないとあとあと困るので仕方なく。
実家の住民票の方には私は載らないし、戸籍は附表を取り寄せる必要があるけど、そこまでしない(そういうのがあるのを知らない)だろうからひとまず。
パッと見わからなかったら、諦めそうだし。
実家の鍵と健康保険証の送付
身分証明が健康保険証と学生証しかなかったので、持ってきてた。
自分が就職したらそちらの健康保険に入るのでもう不要と判断した3月末に実家の鍵とともに郵送。
消印の郵便局から推測されないように、ターミナル駅の郵便局から送りました。
郵便の転送は諦めた
転送届を出そうかと思ったんだけれども、転送のシールに新住所が書かれるので、何か間違って実家に届いたら嫌だと思ったので。
もともと私宛の郵便物は美容院の広告とかで少なかったのもあったのと、
就職先からの入社式の案内までは受け取ったので、それ以降の郵便は諦めた。
会社がらみは最悪、4月1日に入社式に出ればあとは何とかなりそうだったのもある。
就職と給料日
4月1日に念願の入社式があり、配属の発表などがあり無事に社会人への第一歩を踏み出しました。
あれよあれよと日々は過ぎていって、初めてのお給料日。通帳にキュウヨの文字と金額が入ったのが嬉しかった。やっと自分のために使えるお金が手に入ったと感慨深いものがあった。
先輩に初任給で何を買うの?と聞かれた時に新卒や転職組の同期が、
「親と外食します」とか「ナノケアのドライヤーが欲しいです」と答えていて、
実家暮らしで余裕がありそうで、とても羨ましかった。
「家賃と光熱費を払います…。」
と答えて失笑を買ったのも思い出の一つ。
連日の新入社員の飲み会とか憧れたなあ。
社会人1年目で100万を貯金したのは、また別のお話。
勝因
・20歳を過ぎてから実行したこと。
これが未成年だと保護者の保護義務がとかで、警察に探されたりとかが発生しうるけれども、この件は、はたから見れば「成人した娘が就職のために引っ越した 」だけ。
赤帽さんも仕事として受けてるだけだし、犯罪でもなんでもない。ルームシェアだってそう。
法律を勉強していないので詳しいことはわからないけれども。
・貯金があったこと、就職先が決まっていたこと。
就職先も実際とは違う業界を咄嗟に言ってしまったことが幸か不幸か。正解を探し当てられたり、突撃されたことはない。
・親と全く縁のない人にお願いしたこと。
地元の友達とか同級生とか、実親と顔見知りの人に頼んだりすると、そこから居場所がバレたりするし迷惑がかかると思ったので。あんまり友達いないのもあるけどさ…。
・親自身が見栄っ張りかつ自分で調べたりするタイプではないこと
実はこれに尽きるんじゃないか。
「ご近所さんに恥ずかしい」を多用していたので、近所の人に相談するとかもできないタイプ。
良くも悪くも運動至上主義で自分で調べたり学んだりはしない人たちだから。
戸籍の附表を取り寄せられたら新住所がわかってしまうけど、そこまでたどりつけないだろうと思った。
後日談
ボーナスの時期になると、母親の番号から着信があり、
「金をよこせ」と留守電が入っていた。
完全に無視したけれど。
あと最近、詳しいことは伏せるけれど、最近まだ実家にいるらしい弟がこんなことを言っていたらしい。
「姉ちゃんが出ていくの当たり前だよ。俺だってこんなところ嫌だ。金があるならとっくに出ていってる。」
世間って狭いなあ…と同時に、ああ、やっぱりな…とも。
今が幸せ
なんだかんだ働きながらいろいろあるし、学歴も、周りが持ってる実家という後ろ盾もないけれど*5、体調崩しながらも低空飛行しつつ仕事も中堅どころになりお給料も安定してきて、美味しいもの食べたり本を読んだり映画を見たり美術館に行ったり、ジムに通ったり、たまに旅行したり。そんな今の生活はとても楽しかったりする。